<   2006年 01月 ( 24 )   > この月の画像一覧

成田屋の焼きプリン

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そしてもちろん、店長さんご推薦の焼きプリンもと、ショーケースを覗いたのですが、そこには値札があるだけで、スッカラカンの状態でした。
時計の針は既に15時を回ったところ。
やはりこの時間では売り切れか・・・と半ば諦めながらも、念の為お店のお姉さんに聞いてみると、「丁度出来あがったとこなので、ちょっと待ってくださ~い。」
待つこと暫し、木箱に載せられ出て来たのは、何とモウモウと白い湯気を上げるプリン達。
そして、注文した3つが渡される時には

「とっても熱いので気を付けて下さい。」

そんなこと言われたことありません・・・。
アツアツのプリンていったい?・・・と、その場で食べたい衝動に駆られましたが、グッと堪えて持ち帰りました。
夕飯後に頂いた冷蔵庫で程よく冷やされた焼きプリンは、表面のみならず内部にまで散りばめられた、かなり多めのバニラビーンズが、
濃厚な玉子の風味に負けない豊かな香りを漂わせていました。
そんな甘めの生地に対して、底に沈むのはサラサラでほろ苦いカラメル。
スプーンで掬って、万遍なく絡めて食べれば、もはや言うことはありません。
ただひとつ惜しむらくはカップが小さめということ。
2個、いや、3個は食べないと、別腹が納得してくれません・・・。

それ以外にも旨げなケーキがたくさんありま・・・さ、さすがにまたにしました。^^;

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by sanzokuame | 2006-01-31 20:17 | ベツバラ

成田屋のいちご大福

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藤岡のお町のど真ん中。
よく行く市立図書館の通りにありながら、何故か一度も口にすることの無かったのがここ成田屋さん。
いつかは行かねば!と思っていたところ、垂涎の画像を店長さんがUP!!
そして漸く私も頂くことができました。

薄い皮から鮮やかな赤を魅惑的に透かす苺は、まるでついさっき畑から摘んだばかりのような瑞々しさ。
甘さ、量とも控えめな粒餡との相性もばっちりです。
和菓子というよりフルーツデザートと言ったカテゴリーのほうがより相応しいかも知れません。
ひとつを翌朝にも食べましたが、餅の柔らかさにはまるで変化がなかったのは驚きでした。

さて、この苺シーズン。
その花言葉である「尊敬と愛」、「幸福な家庭」の為に、一つでも多くの苺を食べていこうかと。
あれ?どっかで見たぞ?^^

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藤岡市藤岡66 
℡ 0274-22-0368
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by sanzokuame | 2006-01-30 23:56 | ベツバラ

「ねぎ」は「ねぎ」でも・・・

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またも上毛かるたネタですが、全44札を改めて見返していると、ひとつ気付いたことがありました。それは・・・唯一「食」をテーマしたこの「ね」の札。初版、現在版とも、じっくり見てみると何か違和感を覚えませんか?

・・・そう、「これって下仁田葱なん?」なんです。

下仁田町のHPにもあるような太くてズングリした独特のフォルムとはかけ離れ、いわゆる「深谷ねぎ」ではないのか?と思った訳です。はてなマークが頭に浮かんだら、まずは図書館!ということで、藤岡の図書館で手に取ったのは『上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生』(西片恭子 著 群馬文化協会発行、中央公論事業出版制作)。上毛かるた生みの親、故浦野匡彦氏の長女であり、上毛かるたを発行する財団法人群馬文化協会の理事長を務める西片恭子さんの著作です。父、浦野匡彦氏の上毛かるたに込めた熱く献身的な思いがひしひしと伝わるこの一冊は、上毛かるた誕生の経緯を詳細に知ることができる第一級の資料でもあります。そして「ね」の札の疑問に対する答えも「八、上毛かるた制作過程」の章にしっかりと記載されていましたので、引用して紹介します。
 父は計画当初から、歴史教育家の恩師丸山清康先生に解説文を書いて戴くことに決めていた。これによって他に類をみない〝郷土いろはかるた〟を意識し、先生の従弟にあたる県立前橋工業高校美術教師の小見辰男先生に絵を依頼した。
~ 中略 ~
 ただ、初版の絵は、当時の情況では、各地を訪ね歩くも儘ならず写真などに頼った所もありまた、例えば下仁田葱などは庶民は見ることも口にすることもない〝殿様ねぎ〟といわれて高級料亭にのみ行く品であっただけに、昭和四十三年描き直された現在の絵も同じく深谷ねぎの形といわれるが、これは当時の庶民生活を語る良い例になったといえる。私も下仁田葱をこの目と口で確かめたのは昭和五十年代に入ってからと記憶し、日本に飽食の時代が到来した頃であったと思う。 
さすがの殿様ねぎ、当時の庶民にはまだ高嶺の花の存在であり、ねぎの描写として一般的な深谷ねぎの形で描かれたということです。今でこそ、県内のスーパーや農産物直売所で容易に手に入れられる下仁田ねぎですが、私が子供の頃でさえ食卓に上っていた記憶はありませんので、戦後間もない時期には見たことすらないというのが実情だったのでしょう。ちなみに昭和二十二年の上毛かるた制作公募に寄せられた札のうち、「食」に関するものは下仁田ねぎ、蒟蒻のほかに利根鮎、磯部煎餅、新田米、わらび、ぜんまいの5品。やはり他県には無いオリジナリティが採用の理由といったところでしょうか。

ところで、当時も県内広く人口に膾炙していたであろう「焼きまんじゅう」の応募がなかったのが不思議なところです。もしも「新上毛かるた」が制作されるのであれば、このソウルフードをぜひとも採用して欲しいですね。

「縁日の 味噌だれ香ばし 焼きまんじゅう」 はいっ!^^

1/30追記 「ね」の札の説明は、yosuieさんの 上毛かるた ね をご参考に。
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by sanzokuame | 2006-01-29 23:51 | ぐんまな資料

蕎麦 楓

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伊勢崎のハローワーク近く、すぐ前を両毛線が通る鉄道ビュー抜群のお店です。
エントランスは黒い格子塀に囲まれ、ひと目で店舗と気付くには難しいものがありますが、
ひらひらとたなびく白い暖簾を潜れば「蕎麦 楓」の文字が間違いなくここが蕎麦屋であることを教えてくれます。
玉砂利に敷かれた飛石を進み、格子戸を開くと、黒光りする長い廊下が出迎えてくれます。
これほどに渋い店の作りなので、さぞご年配な店主かと想像したのですが、意外や意外、私と同年代、
いや、ひょっとしたら年下かと思えるほどの若いご夫婦でした。
外光を巧く取り入れた間取りや、静かに流れるBGMの選曲など、そのセンスの良さが光る店作りです。
また、この季節は女性にそっとひざ掛けを渡してくれたり、細心の心配りには蕎麦が出てくる前から感心しきりでした。

さて、昼時に頼んだのはこの「昼の膳」(¥1000)。
天ぷら2品(この日は海老とオクラ)と小鉢が2つ付き、なかなかのお値打ちです。
艶々とした十割蕎麦も多めの盛りで、サラリーマンの胃袋も十分に満たしてくれます。
コーンポタージュ以上にトロトロの蕎麦湯にも大満足でした。
「田酒」も置いてあるそうなので、今度は夜来ようかな?

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伊勢崎市太田町617-1
℡ 0270-21-2633
定休 毎週火曜、第3月曜
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by sanzokuame | 2006-01-26 21:00 | 食してナンボ

甘楽亭の大盛りランチ

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堰を切ったように怒涛の「食してナンボ」が続きますが、決して一日で食べたものではございませんので誤解無きよう、そこんとこヨロシク!
と前置きをしつつ、読者をオイテケボリ状態で続けます。^^;

藤岡のとんかつ屋と言ったらまずここ、ちょっと紹介が遅すぎたくらいです。
とんかつをメインに悩むほど数多くのメニューがあります。
久々に訪れた働き盛りの男子としては、この「男性限定」の文字がキラリ☆と光る大盛りランチを注文せざるを得ませんでした。
「味カツ」と呼ばれるロース肉のいわゆるソースカツが2枚と、個人的に一押しのメンチカツが2枚。
おおーと唸りたくなる、お皿から溢れんばかりの大迫力です。
始めから味付けされているソースカツは殆ど真っ黒の状態、くれぐれもテーブルのソースなどかけることなくそのまま頂きましょう。
そして、真打ちのメンチカツは一般的なものの1.5倍程の大きさがあります。
こちらには「甘い」、「辛い」いずれかのソースをかけて頂きます。
私の好みはいつも「辛い」。
さらに和辛子をつけて大きな口でかぶりつきます。
ソースと肉汁で「汁だく」なメンチカツをご飯に乗っけちゃったりして、そりゃあもう大騒ぎです。
ご飯も殆どドンブリの量で出てきますが、意外と油もあっさりなので難なく完食できちゃいます。
(あ、私だけかな?^^;)

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藤岡市藤岡1673-5 
℡ 0274-22-0244
日曜祝祭日定休
お持ち帰り弁当もお薦め  

ランチメニューはこちら!
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by sanzokuame | 2006-01-25 17:17 | 食してナンボ

COFFEE SHOP KEYNES (ケインズ)のプリン

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高崎観音山の頂上、平和塔駐車場の隣にある小さな喫茶店。
店内の窓からは、烏川越しに高崎の町並みを一望することができます。
静かに流れるジャズを聞きながら、天然水で入れられたコーヒーさえ渋くすすっていれば様になるのでしょうが、
それだけでは物足りず、ここの一押しの「プリン」を頂いてしまいました。
甘さ控えめ、量はたっぷり、生クリームと絡めてスプーンで口に運べば噛まずとも溶けてなくなってしまう柔らかさです。
鏡のように光るカラメルの海が、冬枯れの木々を鮮やかに映し出していました。
(やべっ、見てたらまた食べたくなってきた。^^;)

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高崎市石原町2398-15
℡ 027-326-4162
木曜定休
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by sanzokuame | 2006-01-25 16:13 | ベツバラ

群馬県立図書館・ニュータジマのカレーラーメン

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言うまでもない群馬県の知識の泉、県立図書館
月に2回程度、何か調べものがある度に訪れています。
活字を長時間眺めたあと、気分転換のコーヒーを頂けるのが4Fにあるこの軽食堂。
群馬弁バリバリの気さくなおばちゃんが一人で切り盛りしています。
そんな軽食堂なのですが、決して「軽」とは言えない、なかなかヘビーな一杯が存在します。
それがこのカレーラーメン。
食堂、ラーメン屋ではあまりお目に掛かることのないこのメニュー。
元々あった醤油ラーメンにこれまたここの定番でもあるカレーライスを融合させた新メニューとのことです。
そのカレーはいわゆる「お母ちゃんのカレー」。
豚肉、じゃがいもがゴロゴロと入り、かなり甘口の味付けです。
お決まりのように載せられたナルト&シナチクとカレーとの相性には微妙なものを感じますが、ボリュームたっぷりのアツアツな一杯に身も心も温まります。
難点はこれを食べてしまうとお腹が膨れて、たちまち睡魔が忍び寄ってくること。
その後の勉強は決してはかどりませんのでどうかご注意を。^^

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by sanzokuame | 2006-01-25 15:28 | 食してナンボ

群馬の森の日時計

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群馬の森の中心部、大型遊具を有する「あそびの広場」の一角には開園当初から一台の日時計があります。
小学生の頃、この日時計の外周に書かれた世界各都市の名前に、地球のスケールの大きさを感じたものでした。
この地点の為だけに作られたこの日時計。
世界に一つだけの時計なんですね。

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ちなみに、肉球を見せている彼はここのボスです。

ちゃんと挨拶をしないと・・・
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by sanzokuame | 2006-01-24 18:21 | 今日のニャンコ、たまにワンコ

お疲れさま

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元日本代表の小島が引退=J2草津 [スポーツナビ]

大きな時代の変化を感じるこのオフシーズン、ついに一番寂しいニュースが届いてしまいました。
チームがどんな状態であっても、いつもあなたの笑顔がそこにありました。
もしも、あなたがいなかったら・・・それはとても想像することさえできません。
己には鬼となり酷使してきたその体をまずは休めてください。
今まで夢をありがとうございました。

新田義貞に並ぶ、群馬が生んだ現代の名武将確定です。
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by sanzokuame | 2006-01-23 20:41 | ザスパ草津

新町最後の日

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シリーズの締め括りは自衛隊駐屯地近くの諏訪神社から。
先日の新田義貞記事編集の際、ネットでこの神社にも「稲村ガ崎の太刀奉納」があることを知りました。
それはここの本殿の三方のうちのひとつで、楠木正成・正行親子、児島高徳と合わせ、太平記に登場する南朝方主要人物の名場面として彫刻されています。
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「桜井の別れ」
「今度の合戦、天下の安否と思う間、今生にて汝が顔を見んこと、これを限りと思うなり。正成すでに討死すとききなば、天下は必ず将軍(尊氏)の代になりぬと心得べし。然りといえ共、いったん身命を助からんるに、多年の忠烈を失いて、隣人に出ずること有るべからず」
元弘元年(1331)、楠木正成は後醍醐天皇の命を受け鎌倉倒幕の兵を挙げ、時の執権北条氏の大軍と戦った。多くの武将も天皇を助けて北条氏を倒し武家政治を廃した。世にこれを「建武の中興」という。しかし間もなく足利尊氏が背き、一度は楠木正成に敗れ九州へ敗走したが、大軍を集めて再び京都に進攻してきた。延元元年(1336)、楠木正成は手勢七百余騎を率いて湊川に出陣し、数万の足利軍と戦ったが衆寡敵せず、遂に全滅した。楠木正成は一族郎党とともに自刃して果てた。「桜井の別れ」は正成が湊川へと死を決した悲壮な出陣をする際、この時わずか11才の息子正行に永遠の別れを告げる名場面である。
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「天莫空勾践 時非無笵蠡」
後醍醐天皇の遷幸・還幸に東奔西走した備前国出身の児島高徳。太平記には様々な名前で登場し、一説には太平記の作者とされる小島法師ではないかとも言われている。高徳は、後醍醐天皇が隠岐島に遷幸されたとき、救い出そうと奔走する。美作国院庄(津山市院庄)に後醍醐天皇が宿泊された際、夜陰に乗じて行在所に忍び込み、近くの桜の木の幹に「天莫空勾践時非無范蠡(てんこうせんをむなしゅうするなかれ、ときにはんれいなきにしもあらず)」の十文字の漢詩を刻んで、天皇を慰めた。これは中国の故事「臥薪嘗胆」になぞらえ「呉王夫差と戦った越王勾践を助けた忠臣・范蠡が出てこないとも限らない」、つまり「いつか必ず貴方様をお救いになる忠臣が現れます。」と自分の忠義を印したものである。
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「稲村ガ崎の太刀奉納」
     そして、上毛かるたにも描かれているのが、この名場面です。
元弘3年(1333)5月8日、後醍醐天皇の呼びかけに応え、生品神社(旧新田町)に一族を集め鎌倉幕府討伐のため挙兵。最初に集まった軍勢はわずか150騎に過ぎなかったと伝えられている。当初は利根川を超えて越前方面へ進軍する予定であったが、(この彫刻にも兜を持つ姿で描かれている)弟の脇屋義助に諭されて鎌倉攻めを決意したと伝えられる。
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誰がいつ、この見事なまでの太平記の彫刻を奉納したのか?までは取材できませんでしたが、
鎌倉街道上つ道(かみつみち)を南進する際、この新町の付近を通ったであろう貞義に起因するものなのでは?と思いたくなります。
神流川合戦や義貞の鎌倉攻め、壮大な歴史絵巻の舞台にもなったこの新町。
明日からは「高崎市新町」となりますが、その地名が消えなくて本当に良かった思います。

そして最後に、町民の皆さんと一緒に心の底から・・・
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by sanzokuame | 2006-01-22 22:57 | 日本のカタチ