旧山辺学校

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 そばを堪能した後は、市の東部、美ヶ原高原に源を発する薄川の扇状地に広がる里山辺地区へ。訪ねたのは、1885年(明治18年)、教育を重視した当時の里山辺、入山辺の2村の努力によって建てられた旧制小学校「旧山辺学校」。翌1886年(明治19年)に開校されたこの洋風八角高楼付校舎は、1985年(昭和60年)に長野県宝に指定されています。同じ長野県内に残る松本の旧開智学校佐久の旧中込学校と並ぶこの擬洋風建築校舎は、規模が小さく、簡素な作りながらも、明治初期の貴重な建造物として、高い学術的価値が認められています。(前から一度見てみたかったこの学校。かつては松本市内を一巡するほど擬洋風建築フリークな私の超個人的な趣味ですずきさんを連れて来てしまった訳です・・・はい。^^;)開智学校の10年後に開校したこの学校は、開智学校の建築にも携わった地元の宮大工佐々木喜重が棟梁を務め、全体的に似通った部分が多く見受けられます。建築費用は、開智学校(約11,000円)の1/7の1,573円。全ては地元住民の浄財によって賄われました。当時、開智学校は外国から輸入した高価なガラスや色ガラスを使っており「ギヤマン学校」と呼ばれたのに対し、この山辺学校は簡素な作りで障子を使っていたので「障子学校」と呼ばれたそうです。1982年(昭和57年)10月から1983年(昭和58年)8月にかけて全面解体復元工事を実施し、現在は山辺学校歴史民俗資料館として活用され、里山辺、入山辺両地区の歴史・産業・民俗・祭礼に関する資料が豊富に展示されています。



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① 桑くれ
長野でも動植物への餌、水などは‘くれ’てやるもんなんですね。
同じ養蚕県として、妙に親近感を感じた私と、私以上に興奮されていた群馬弁講座主宰のすずき先生なのでした。^^ 
群馬県民の方、小学校のとき水くれ当番って言ったでしょ?



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② なんとなく、「そんなの関係ねぇ~! そんなの関係ねぇ~!」  

ちょっと違いますが、そう見えてしまったもので・・・
資料館関係者の方すいません、悪気はありませんので・・・何卒
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by sanzokuame | 2007-10-31 22:21 | 日本のカタチ


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