旧官営新町屑糸紡績所

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経済力の弱い当時の日本が、外貨を獲得できた最大の輸出品が生糸であった。明治政府は、いろいろなかたちで製糸業を発展させようとし、富岡製糸所に次いで、官営模範工場の洋式絹糸紡績所を明治10年10月20日設立した。
 19日午前6時頃から東京を発車したものは、内務卿大久保利通、大蔵卿大隈重信、工部卿伊藤博文、内務少輔前島密、勧農局長松方正義らの面々であった。「屑糸屑繭を財貨の屑と見て外国人に売却してきたが、外国人はそれを生糸に紡績して利益を得ていた。この工場が発展をすると共に、これを模範として各地に屑糸紡績工場が勃興することを期待する。」と、大久保利通は、期待の大きさを祝辞の中で述べた。
     群馬県繊維工業試験場HPより

国史跡の旧官営富岡製糸場とともに、世界遺産登録を目指している新町の旧官営新町屑糸紡績所の創業当初を描いた錦絵「上州新町駅紡績所」の版木が藤岡市で発見されたという記事が28日の上毛新聞1面に掲載されました。版木3枚の表と裏と計6面に絵柄が彫られ、錦絵は黒、白、青、緑、黄、茶の六色刷り。文明開化の当時の様子が生き生きと伝わってくる見事な一枚です。今と変わらぬ上州の山々、浅間は当時も元気だったようです。烏川に浮かぶ帆掛け舟が何とも時代を感じさせます。
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by sanzokuame | 2005-06-30 08:00 | ぐんまな資料


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